柿と向き合い続けて90年 古くからの柿農家です
丸金青果(まるきん)は岐阜県本巣市(旧 糸貫町:いとぬき)で
富有柿の栽培から販売まで一貫して手がけています。
「柿専門の株式会社」というちょっと変わった会社です。
「株式会社」という名前ですが、柿の農家です。
戦前(昭和初期)から、この地で富有柿を栽培してきました。
現在で四代目、柿一筋90年以上の歴史があります。
私たちの想い
「できるだけ長く富有柿を楽しんでもらいたい」
「もっと多くの方々へ富有柿を届けたい」
これが先代から受け継ぐ想いです。
できるだけ長く富有柿を楽しんでもらいたい
例年、富有柿が食べられるのは11月中です。たった1ヶ月しかありません。
「もっと長い期間、富有柿が食べられたらいいな」
そんな強い思いから、「冷蔵富有柿」をはじめました。
「冷蔵富有柿」は11月の富有柿を低温で保存して、12月以降に出荷します。
簡単なようですが、柿は保存しておくと柔らかくなってしまいます。
収穫したてと変わらない状態でどうやって保存するか。
試行錯誤の末、現在の「冷蔵富有柿(フレッシュパック )」にたどり着きました。
技術の進歩で、現在では12月〜2月末まで出荷ができるようになりました。
「できるだけ長く」
この想いはまだ道半ばですが、ここまで形になりました。
まだまだ挑戦は続きます。
もっと多くの方々へ富有柿を届けたい
丸金青果も、もともとは個人の一柿農家でした。
しかし、個人では限界があります。
「本巣で育ったこのうまい柿を一人でも多くの方のもとへ届けられたら」
との想いから、事業化し、株式会社へと至りました。
支えてくださった皆様のおかげで、現在では、
直販だけでなく、東京市場・名古屋市場、
郵便局の「ふるさと会」など、全国各地へ富有柿をお届けしています。
わずかですが、「もっと多くの方々へ」の想いが形になりつつあります。
また最近は、本巣でも高齢化が進み、柿栽培を断念される方が急増しています。
富有柿の生産量は年々、減少傾向にあります。
「このままでは、多くの方々へ富有柿を届けるどころか、
富有柿が食べられなくなるかもしれない」
そんな懸念から、栽培をやめる方から畑を借りて
代わりに栽培をするようにもなりました。
気づけば、栽培規模は全国トップクラスになっていました。
富有柿の取扱量も増え、「もっと多くの方々へ」の想いに少し近づきました。
先代から受け継ぐ、柿に対する熱い想いを胸に、
これからも皆様のもとへ富有柿を届け続けてまいります。
「丸金」の歴史
始まり
「丸金」の原点は昭和初期まで遡ります。
初代:太田金造が山を開墾して富有柿の苗木を植えたのが始まりです。
当時は、米と玉ねぎの栽培が中心で、柿を中心に栽培する人はほとんどいませんでした。
地域の中でも先駆的な試みでした。
「丸金」にこめる想い
本巣の土地・気候が柿の栽培に適していることがわかると、
次第に富有柿の栽培を行う人も増えてきました。
二代目:太田金一の時代になると栽培面積も増え、
顔の見える販売に力を入れるようになりました。
「まあるい富有柿を通じて繋がった、皆様とのご縁を大切にしたい」
そんな初代、二代目の想いから「丸金(まるきん)」という屋号になりました。
さらに、
「11月だけでなく、できるだけ長く富有柿を楽しんでもらいたい」
そんな想いから、富有柿を冷蔵保存する試みもはじめました。
最初の数年は失敗の連続でしたが、次第にうまくいくようになりました。
丸金青果の「冷蔵富有柿(フレッシュパック)」の原点です。
「丸金青果株式会社」の誕生
三代目:太田信義の時代には、
「もっと多くの方々へ富有柿を届けたい」との想いから、
1980年(昭和55年)「丸金青果株式会社」として法人化されました。
全国的にも珍しい、「富有柿専門の株式会社」の誕生です。
柿の栽培だけでなく、全国的な販売にも力を入れるようになりました。
この頃には「冷蔵富有柿」の冷蔵技術は確立され、
安定して冷蔵保存ができるようになりました。
冷蔵された富有柿は12月〜1月に「ゆうパック」など、
産直輸送で全国各地へ出荷されるようになりました。
「できるだけ長く富有柿を楽しんでもらいたい」という想いが形になってきました。
富有柿をできるだけ長く
現在の四代目:太田義浩の時代には、
「ポット栽培」など先進的な栽培にも取り組むようになりました。
富有柿をシーズンの11月より早く作る試みです。
「ポット栽培」は現在、コスト面などの問題で行っていませんが、
丸金青果の栽培技術が飛躍的に進歩するきっかけになりました。
さらに、冷蔵技術と冷蔵装置の性能が向上したため、
冷蔵富有柿が12月〜2月末まで出荷できるようになりました。
「できるだけ長く富有柿を楽しんでもらいたい」という想いがさらに前進しました。
現在
そして現在に至ります。
数年前、次の五代目として若手が2人加わりました。
先代からの「できるだけ長く富有柿を楽しんでもらいたい」、
「もっと多くの方々へ富有柿を届けたい」という想いはずっと変わりません。
これからも「まあるいご縁」を大切に富有柿を届けて参ります。